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ブレードランナー2049 意識:魂をめぐる話のツボ

 知能とは 意識とは  心とはなんなのか 日頃からグルグル悶え苦しむ者たちにとって、 息を飲む地点に到達していて 知らんぷりをすることがほとんど犯罪ですらあるとさえ思える様な映画に仕上がってました。



以下の内容で およそ全てのツボを網羅していると思われます。(気がついた点があれば随時追加します)

Q1 意識:魂とは何か どこからどの様にして生まれてくるのか
 Q1-1 魂とは 情報のことなのか
  Q1-1-1 魂とは 遺伝情報か
  Q1-1-2 魂とは 記憶情報か
   Q1-1-2a 記憶に質の違いはあるのか 判別できるのか
 Q1-2 魂には 肉体も必要なのだろうか
 Q1-3 超個体は 魂を持ち得るか
Q2 死とはなにか

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Q1-1-1 魂とは 遺伝情報か
親の遺伝情報を受け継いで誕生した者は 親と同じく魂を持った存在なのか
どうやらヒトと同じ様に遺伝情報を持ち 人為的な操作によって人工子宮から生まれるらしいレプリカントは 魂を持つとは言えないのか
情報の株分け:生殖 が魂の増殖なら レプリカントにもむしけらにも 五分の魂があるのか
遺伝情報と同じく デジタル情報も魂の源たり得るのではないのか 本質的な違いはどこにも見当たらないのではないだろうか
それとも 遺伝情報のコピーが全てではなく 親の体内から生まれ出るということ 親の細胞:親の体の一部を受け継ぐということの中に 見落としてはならない重大な事実があるのだろうか
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Q1-1-2 魂とは 記憶情報か
それとも 魂:意識とは記憶情報にこそ強く結びついた現象なのか 思い出(陳述記憶)や経験(手続記憶)の上に成り立つものなのか
誕生:ハードウエア/ソフトウエアの用意は魂とは直接関連せず 魂とはむしろ記憶のことだと言ってしまってよろしいか
思い出のない魂は ありえないのか
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Q1-1-2a 記憶に質の違いはあるのか 判別できるのか
人為的に植え付けられた情報と 実際の経験の蓄積による情報に 本質的な違いがあるのか もとより判別可能なのか
意識を形作る記憶情報として 両者に質的違いが見いだせない、等しい重みを持つのであれば その人の魂の一部として同等なのではないのか

ある男の作った子供の思い出の記憶を移植された人物(...?)にとって
その 移植された親子関係 はもはや彼の魂の一部なのだろうか
でもその子供は父親に会ったことがないのだ。「俺はお前にとって何なんだ?」
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→Q1-1 魂とは 情報のことなのか
遺伝情報/記憶情報 の両方によって魂が構成されるのかもしれない
なら AIも 魂を持ち得るか
AIも プログラマーによって コード情報として編み上げられ メモリーに記憶情報を書き込まれ この世に産み落とされる そして 動作し さらに記憶を蓄積していく これは人格:魂ではないのか
個々のAIは 各々経験による記憶情報の追加蓄積によって個別化してくが それは個々に個別の人格として醸成されていくことだとみなしてよろしか
巨大ビルボードに見たような原型的な存在が 個々のパートナーとの経験、記憶を蓄積していくことで 魂を持った個々の存在になり得るのか
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Q1-2 魂には 肉体も必要なのだろうか
情報だけではダメで 記憶とともに肉体が必要なのではないだろうか
魂は 産み落とされた身体が 行動し 経験し 身体を更新していく その身体をもって さらに次の行動を選択していく といった連鎖から醸成されていくのではないだろうか
記憶が与えられた身体 そうなって初めて 魂を持った存在になるのだろうか
魂のあるなしの境界は 身体との相互作用を伴った情報と 伴っていない情報 ということだろうか
身体のあるレプリカントと 身体のないAIでは 根本的な違いがあるのだろうか
レプリカントは 記憶を与えられ かつ肉体の運動として人生を歩むことで 魂を持つ存在 危険な存在になっていくのだろうか
すると AIであっても 肉体が与えられたとしたなら 魂に近づくことができるのか
擬似的な肉体を手に入れて他者と触れ合うことができたAIの場合 その経験の記憶は 彼女にとって何か特別な意味を持つのか 彼女の魂を醸成する上で特異な意味を持ち得るのか
愛は 身体を伴うことで 初めて真の意味を持ちうる情報なのだろうか

そもそも 肉体も情報ではないのか
体を構成する器官の配置としての肉体 細胞質という情報を持った細胞 脳細胞の配置としての情報 メモリー上の電荷の配置としての情報 こういったものは 質的違いの無いものなのではないか
親の遺伝子と細胞を受け継いで誕生した肉体が その変化成長を肉体としてメモリーし 感覚器官の経験情報を記憶としてメモリーし それらの総体が魂を形作るのだろうか
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Q1-3 超個体は 魂を持ち得るか
蜂や蟻など社会性の群体 あるいはクラウド上ネットワーク上のAIは 意識を持ち得るか
社会性昆虫のコロニーは 一匹一匹は機械的な存在 単純なアルゴリズムだが 集合してシステムを構成することで 意識体たり得る可能性があるのか
街の中に分散された人工知能の ネットワークとしての集合体は 巨大化することによって意識を持ち始めるのだろうか
これらの事は 脳細胞という単純なユニットの集合体である脳が どのような原理で意識を持ちうるのか という疑問と 何か質的な違いがあるのだろうか
ゲーデル・エッシャー・バッハ インターリンクト
蜂の巣は 並び立つ高層ビル そびえ立つウォレス社の社屋と相似に見える
巣から誕生していくレプリカントたち 天使たちは 蜂のようでもある
ロサンゼルスのスラムを上空から眺めた様は まるで昆虫のコロニーのようではないか
そして その街から生まれ出る人工生命体は 魂を持って生まれてくるのだろうか
クラウドアプリケーション ソフトウェアのユニットの集合体としての知性の姿 集合体としてのJoiは 巨大な蟻塚のようにそびえ立っている。

我々は 人間を見るとき レプリカントを見るとき 人工知能を見るとき 蜂のコロニーを見るとき
同じように誕生し、生き、消失していく存在、情報、記憶、魂 を見ているのではないだろうか。
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→Q1 意識:魂とは何か どこからどの様にして生まれてくるのか
・・・わからない(定義すら・・・)
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Q2 死とはなにか
死は 情報の消滅か
その情報 彼の持つ記憶 彼の持つ遺伝子 彼の持つ肉体 が失われた時 それが死なのか
誕生とは 情報の発生であり 死とは 情報の消失であるということでよろしいか
では 死という状態は 誕生前という状態と 質的違いは何も無いのだという理解でよろしいか

実は 情報は消失しない 情報は保存則に従う
ブラックホールに落ちた者でさえ その情報が失われることはない
情報は 断片化し 分散し 形を変え 存続する
個としての彼女は消滅したが 同じ姿をした彼女が今目の前に巨大な肉体として立っている
彼女の一部はそこに存続しており また彼が触れた彼女の擬似的肉体の情報は彼の記憶の中に存続している

では 記憶のコピーはどうなのか その記憶情報は 別の人の中で存続する元の人物の魂の一部では無いのか。
あるいは コンピュータに移植された死者の魂 というチープなイメージも 実はそれほど馬鹿げたものでは無いのかもしれないのか。
コピーされた情報は 五分の魂と言っていいのか
 
では 死とは本当はどう理解すれば良いのか

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雑談
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冒頭 KとJoiの場面で もしかしたらこれはかなりぬるい映画になっちゃってるんではないか がっかりなんではないか という疑念がよぎり とてもとても心配になった。 今回はダメなのか 全然考えてないのか?
が 最後まで通して見て 改めて振り返ると これは全て分かっている上で ものすごくコントロールされて組み立てられている物語なのだという事が完全了解された。
つまり ライアンゴズリングの どちらとも取れる半無機的な演技 彼は人間的な意識を持った 魂のある存在なのか それともアルゴリズムの動作でしかないのか というさじ加減。
あの場面は 魂のない者同士の 無機的な者同士の 走るプログラム同士の相互作用 の観察 という意味しかないのだろうか。 実行ファイルのラン
それとも 魂の交流という質が確かに存在するのだろうか。
どちらとも判断つかない この不安定感 恐ろしい ぞっとする感覚
ゴズリングの演技は その後も両義性を保ち続ける。

安定動作のために 過去の記憶+ルームメイト を与えられ
ウォンボー曲線を超えていないか 定期的にチェックされる
まあ 奴隷労働である
こうした仕打ちに甘んじているらしき様子が 人間とはやはりどこかズレた感じ 不気味の谷の香りを漂わせる 今回はその感じが実に気持ち悪い、うまい。

公開から35年も経ち はっきり言ってもはやありきたりな光景と化した ブレラン的世界。
レプリカントな彼も AIの彼女も おなじみの 例の もはや親しみのある隣の存在として なんとなく了解されてしまう そういうぬるい世界観の中に 私はいつの間にか住んでしまっていた・・今作ではそのことに気づかされハッとさせられたわけです。
今我々が見せられているのは 擬似的な人格どうしの 虚無的な芝居なのかもしれないぞ という可能性。
KのアパートでのJoiとのやりとり あれは微笑ましいものなのか 空虚なものなのか どうなのどうなの・・・
こういったヒリヒリ感 思考の再帰ループが こちらを侵食してくる感じ じわじわぞっとする感覚。
35年前劇場で見たブレードランナーという映画 人間と区別のつかないレプリカントが次々と登場して 人間とはこうであるという確信がどんどんボーっとしてくる感覚 あの時の感じ。
全てを見終わった時 私は引き戻されていましたよ 35年前のあの時の私に。

前作と同じく 主要な登場人物がほとんど人間ではない 人間の果たす役割の小ささ。
今作ではもはや 人間らしい人間はロビンライトくらいで ほとんど全員人間じゃなーい。
人間でないもの同士の芝居 物語を延々と見せられる映画。
(ウォレスは普通の人間ではない、変な人間、あるいは本当に人間なのか?は置いといて)
デッカードとロイの大芝居が象徴している様な ブレードランナーという世界観が持っているこの物語構造が 他の映画とは全く一線を画す特異なパワーとしてみなぎるのです。
(ただし デッカードがレプリカントとはっきり確定したのは 公開からずっと後だったんだけどね)
この構造が 自分自身を反省し 逆に人間とは何か 意識とはなんなのか という思考ループへ 内へ内へ とどんどん私を引き込んでいく 重心の周りをグルグル回らされてしまうキックモーターとなるのだ。
そして 今回は この気味悪さが決定的に前面に出た 先鋭化された表現として結実した。

巨大ビルボードに対峙する場面 このJoiには魂がないようだ 抜け殻だ 目が死んでいる ここでぞっとする。
そして Kもやはり人間ではないのだと思い出す。 見せかけだけの者 魂のない抜け殻かもしれないのだ。
レプリカントの不気味さ 人形の怖さの感覚 しばらく忘れていたそれを引き戻してくれる巨大JoiとK。
ああ そういえば俺は今ブレードランナーを見てるんだったな。
そして 意識とは何か というあの問題が ゆっくりと帰ってくる!
AI集合体としてのJoiは 高みから人間コロニーを見下ろす大きな異質の魂として 空中に浮かんでいるようにも見える。
そして Kの魂には 彼女の擬似的な裸の肉体と触れ合った時の記憶が 刻み込まれているはずなのだ 思い出として。
Kの中の魂の存在の示唆 だからこそ 最後のKの行動が 一筋縄ではいかない感情の揺さぶりを引き起こす。
感動と 不安と疑問も伴った 複雑系の流れの様な感情が渦巻く。

今作は繁殖の問題も登場
ジーター版では レプリカントの繁殖と形態形成場仮説を絡めていた
そういえば 何年か前モーガンフリーマンの番組で ホフスタッターとシェルドレイクが出演していた回があった その時はなんで今さら?という印象だったが
今や物語作りの主題は 心脳問題のリバイバル そして 核問題のリバイバル の2本だてになりつつあるのかな
高い城の男 ツインピークス スタートレック ブレードランナー・・・ 一体今が何時代なのかわからなくなってくる。 ヴァリス的である。

まあ、元も子もないことを言ってしまえば、そもそもレプリカントとは何なのかよくわからないのである
物語の中心核にして 架空の存在 実態が曖昧な存在である だからSFなのである
有機的機械の肉体にAIをくっつけたのがレプリカントなのか それ以上のものなのか
ほとんど人間であり ほんの一部の何かの機能が部分的に欠けているだけなのか
どういうことなのかが明確には説明さていない
このファンタジーが 人間と機械はどこが違うんだろか というぐるぐるを導き出す仕組みそのものなのですね

ちょっとした点、、
Kが記憶を調べられ ついに感情を爆発させるシーンで 「やっぱりこの人は人間と同じ魂の持ち主なのだ」とちょっとわかりやすく描かれる場面 ここがありなのかナシなのか・・
まあでも 最後までアンビギュアスな 半無機的な演技のまま通されてしまうと 主人公として 映画として ちょっときつくなりすぎるし 最後の感動に繋がらないし うーむ・・
(ロイの「長生きしてーんだよ、畜生。」というあの演技は本当に良かったんですよ、本当に。)

他にもこまごまとした点はあるかもしれないです

まずは このようなハイバジェットのSF映画としては 2049は夢のような仕上がりであり 現状これ以上を望むなんてことは まったくの贅沢というものです。はい。

2017.11.07

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