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ハイペリ・エンディミ・デススト


「ハヤカワ文庫の名作選プロジェクト」というものが開催されておりまして 過去作の文庫復刊を行なっております。
その第三弾:2023年9月下旬頃店頭発売にて
  ハイペリオン 上/下巻
 エンディミオン 上/下巻
が選ばれております。(しかしなぜ全巻出さないのか?しかも全4巻の1巻と3巻という虫食い。)

ハヤカワ文庫の名作選プロジェクト >>

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「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」 ダン・シモンズ
「デス・ストランディング」ノベライズ

「ハイペリ・エンディミ」と「デス・ストランディング」。
なぜ両者を並べるのか? それは後ほど。

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ハイペリオンサーガ。でかすぎわろた。
いやいや ロードオブザリングなんかに比べればジャブみたいなもんだし ハリーポッターなんか全7巻なんだからそれよりもたぶん短いわけで・・たぶん
( 正直 辞書みたいですよね・・リアルタイムでは数年に渡って順番に出版されていたわけで のんびり読めたというところはあります。)

「ハイペリオン」が書店に並んだ当時 私は著者ダン・シモンズに対してSF作家だという認識がなかった。
読みもしないうちから 外野によるハイファンタジー寄りのスペースオペラだと思いこみ ちょっと苦手分野だったので 漏れ伝わる賛辞の嵐にも関わらずなかなか手が出ず。
会社の昼休みに先輩がこの辞書みたいにでかい本を読んでいる姿を尊敬の眼差しで仰ぎ見つつも 自分で読むのは後回しにし続けた。
ところが ついに観念して恐る恐る読み始めてみると あとはジェットコースターである。
SF小説にあるまじき(語弊)語りのうまさ 小説のうまさ。
普段 頭のおかしなSF作家達の支離滅裂な文章(語弊!)に浸かりきっていた自分にとって ちゃんとした手練れの小説家による流れる様な語りの技を見せつけられ 眩しい限りであった。

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「ハイペリ・エンディミ」は ”SFの最終回” である。総括である。
最終回なんて言うと その後の小説を軽視している様に聞こえてしまうかも知れないけれども 誓って決してそういう事ではない。
例えば「ここがSF小説第一期の区切りであり ここから壮大な第二期が始まった。」といった言い方ができない したいけどできない・・という意味において ここで一旦”最終回”なのだ。 それが腹蔵無い正直な気持ちである。

多くの方にこの歴史的大作を読んでいただきたいのですが そう言いつつも こいつが誠に特殊な小説であることも隠しようのない事実。
「ハイペリ・エンディミ」は 二十世紀SFの総括であるという意味合いがでかく 長い歴史を時間の順方向に歩んできた果てに辿り着く場所である。
前提条件なしでいきなりこれを読む読者にとっては 少々ややこしい体験になってしまうのではと思う。
現在から一気にあの時点:SF最終回の地点に飛ばされる羽目に陥るわけであるから。
たとえばSF小説初体験だったりする方がいきなりハイペリオンを読むってどんな感じなのだろうか 。本当に面白いと思ってもらえるのか 正直私にはわからない 判断できない。
ハイペリ・エンディミは ちょうど私が一番よくSF小説を読んでいた80年代90年代の香りを散りばめたメタ小説になっており そこを踏まえないと解かりにくい。
あるいは 引用元を参照しながら読むのであれば面白さは倍増するはずという事でもある。
例えば ”ギブスン・マトリックス” ”サイブリッドAIジョニイ” ”禅グノーシス” アシモティベイターに従うアンドロイド もはやネタなのか:ルグインの”アンシブル”通信機 ”ブラッドベリの木”・・ なんて単語が次々に飛び出す。
まあ私も偉そうなことを言う事などできないのであるが。この巨大建築の全ての埋め込み要素について網羅する能力など有るはずもなく。
・・うむ ついごちゃごちゃいらんことを述べてしまう。

気にせず気楽に読んでほしい!
これはエンタメ読書なんであり 知識がないと読めないなんて事があろうはずもないではないか!
何となくパロディーの匂いを嗅ぎつけつつみたいな感じで十分良い読書足る そういうもんだろう読書つーもんはよぅ!


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「魔王子シリーズ」ほか ジャック・ヴァンス
私はファンタジー系は若干苦手で ヴァンスはここで止まってるんですが これは名作の誉高いものです。 シモンズ自身はヴァンスを非常にリスペクトしています。

「時間衝突」バリントン・J・ベイリー
ハイペリ・エンディミの全体構造は バリントン・ベイリー「時間衝突」からの引用なのですが これは未来からの時間軸と過去からの時間軸が現在において衝突している状態を扱っている古典作品です。
映画「TENET」のアイディアの種でもありますね(ストーリーは全然別物の宇宙ものSFです)。


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壮大な「ハイペリ・エンディミ」のプロットは 最後は結局サイバーパンクに飲み込まれて終わっていく。
まさに20世紀SF史を踏まえたメタ小説となっている ww 。
サイバーパンクは最後のSFだ。
宇宙船の旅 未知の惑星の探検 科学者達の活躍の物語は
AIとかICチップとか巨大電子メーカーとかサイバー空間とかハッキングとかいった物語に乗っ取られていった。

サイバーパンクがSFを終わらせたとは 結局どういう現象だったのか 。 私は今だに考えさせられるし なかなか整理できない。 別の機会に回します。 多分 意識のデジタルコピーというものの節操のない乱用が劇薬だったのだと思うのだが。 つまりそれは”なんでも有り”への直行便なので 小説を崩壊させるわけで。 ただしその要素自体はすでにクラークの昔からあり クリス・ボイス ジョン・ヴァーリイ・・。 ではサイバーパンクは何を犯したのか・・・
( 以下 ダラダラと長い取り留めない文章になってしまいひどいものなので切り上げます。もうちょい考えてみることにします・・)


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「デススト」と「ハイペリオン」の相似関係


これを言っている人を私は今だに見かけない(何故なんだ!)。
今回のハイペリオン復活祭を機会に 心の内を懺悔?してしまおうと思い立った。

「この作品とあの作品のここが同根だ」とか「引用元はこれだ」といった新たな知識は とても勉強になったり 将来の作品鑑賞に大変役立ったりするのですが
一方で ただ単に写像関係を列挙するだけの行為は 興を削ぐだけの所業であると感じることもある。
”野暮”という言葉がある。クリエイターの方への失礼になってしまうのが怖い。
こういうのは本来は 見る人それぞれが自分で発見して自由に楽しむ物なのかもしれない。
作家が作品内に仕込んだ先人へのリスペクトや隠しアイテムを 作品に触れる人それぞれが自分のルートで発見し楽しむ体験こそ 作家さん達が意図していることなのではと思う。

そもそも引用元探しは 特に私なんかにとっては 知識不足による邪推が常に危険。
ビンゴかも知れないし 勘違いかも知れん。
あるいは 同じ図形と見て取れる輪郭はモアレの擬似輪郭かもしれんし ブレードランナーとニューロマンサーの相似関係のような時代の必然のシンクロニシティーなのかもしれん。

・・かもしれんのだが・・
小島監督が 「ま〜だ誰も気づかんのか ^ ^ ) 」 と陰でニコニコし続けている可能性も高いかもしれん、しれんぞっ!  くっそ〜。


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ゲームというのはそもそもがメディアのマルチであり 小説・映画・音楽・・・様々な要素のハイブリット。
これらをパズルをはめていく様に再構築・統合し 一個の一貫性あるインタラクティブコンテンツとして合成するという 信じがたき魔法秘術 剛腕。
「デススト」は膨大なSF要素・時事要素・引用の集合体であり たぶん僕はまだ半分も捉えきれていない まだまだ色々な情報が潜伏しているに違いない。
一方「ハイペリ・エンディミ」は SF数十年の膨大な情報を剛腕で編集統合し精錬された1セットの巨大な小説。

つまりですね 両者はそもそもとして同じ構えの動機・気構えを持っていると言えなくもなく その事自体にすでに共振関係があるとこじつけることが可能っ!
ゆえに 両者が似通った構造・形態を纏うことこれ必然なりっ!
そして「ハイペリ・エンデミ」との相同関係が自然に発散されたものだとすれば それは「デススト」という作品が”SFの芯を食っている”という事の証そのものっ!

・・ここまでで私の言いたい事の90%はおしまい。
以下は妄想かもしれない各論です。


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ここからは両者のネタバレになりますので ダメな方は撤収してください。
















⚫︎「ハイペリオン」と「デス・ストランディング」の目次を見ていただければわかります。
作品の全体構造自体が呼応している。

「ハイペリオン」
 第一章 司祭の物語
 第二章 兵士の物語
 第三章 詩人の物語
 ・・・

「デス・ストランディング」
 EPISODE1 サム・ポーター・ブリッジズ
 EPISODE2 ブリジット
 EPISODE3 アメリ
 ・・・

多数の登場人物の背景を順番に紹介しつつ 大きな世界観を読者に徐々に明かしていくという構造。
作り上げようとしている膨大な世界観の語り方の解決法として 同じ結論に達しているのだと思う。


⚫︎ ハイペリオン世界では 人間を死から再生するための生命体/ナノテクデバイスとして 人体の胸部や背部に寄生させる異形の十字架が 終始重要な役割を果たす。
サムはビーチから帰還する際 腹部に十字を刻まれる。 十字架がリスポーン能力の象徴なのだ。
十字架はキリストの死と再生に結びついたアイコンで そういった隠喩的使用がされるのは至極もっともな事ではあるが
死から帰還する能力の印として腹/胸に刻みつけられる/寄生される十字架 という一致は なかなか興味深いビジョンの相同ではなかろうか。

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舞台が宇宙の広範囲に広がる大作SFでは 主人公達の移動手段が常に問題になる。
彼らは物語を進める上で惑星から惑星へと渡り歩く必要があり 多くはワープやワームホールといった物理が用いられる。
SF総集編たるハイペリオン世界では 必然として飛び抜けてたくさんの舞台・惑星が登場する。
これらを一つの物語としてまとめ上げるためには ファストトラベル機構の工夫が極めて重要となってくる。
この様な問題の発生とソリューションはゲームっぽい事になってくるのだ。
たくさんのゲーム面を転換したり広大なオープンワールドを移動したりするときにファストトラベルが用意されるゲームと同様の問題解決の要請が発生しているわけです。
ハイペリ・エンディミではいろいろと奇天烈なアイディアが用意されてる。

⚫︎ 200の惑星にまたがって流れる河が登場する。
河には転移ゲートが設置されており これにより一本の河として全惑星を結ぶネットワークを構成している。
旅客は河下りをしているだけで惑星から惑星へと渡り歩く事が可能。
こんなの小説として超便利である!ずるい。
この河の設定はビジュアル的な見栄えがすごいので ゲームでプレイしてみたかったりする。逆にね。

⚫︎ 十字架寄生体で触れた様に この世界には死から人を再生するテクノロジーが存在する。
この設定からの自然な結論として 非常に無茶な恒星間航法が導き出される。
宇宙船は人間が耐えられる限界を超えて加速していい。
目的地に着いた時 乗組員はミンチになって死んでいる。
でもそれでかまわん。 どうせ生き返ることができるんで。
死への地獄の苦しみに耐える意思さえあれば 人の限界を超えた長距離短時間航行が可能。
かくのごとく 多くの死の匂い 死んでは蘇るというモチーフが ハイペリ・エンディミ全体を包み込んでいるのだが これがデススト全体を包み込むアトモスフィアと非常に似てると感じる。
私にとっては舞台世界の居心地ぐあいの感覚が非常に近いんである。

さまざまなゲームで"You are dead."の表示からリスポーンして再チャレンジという流れをよく見るわけですが
ハイペリオンという小説は 死んでリスポーンすることで物語進行するというまさにゲームな事をやっているわけですな。
そして逆にデスストランディングの方は リスポーンに対し繊細な超科学的説明が付与されており 非常にSF小説的である。
・・このあたりは私の好きな物同士のぼんやりした印象の話になってしまっております・・


⚫︎ 物語も後半「エンディミオン」では ヒロインのアイネイアーが超能力を発揮し 惑星から惑星へジャンプしはじめる。
これで小説家としては物語りがさらに楽になった(失敬)。
そしてデスストでは ファストトラベルに対し”フラジャイルジャンプ”というSF設定をわざわざ施し ていねいに世界観を広げる。
どちらも物語進行に必要不可欠な空間移動のファストトラベルへの超科学設定であるわけだが ヒロインの能力によるジャンプというのが共通している。


⚫︎ 前述の通りハイペリ・エンディミは バリントン・ベイリー的時間衝突を大枠とした物語です。
未来からと過去からの二つの逆方向の時間の矢の衝突を描く。
一方「デススト」もいわば時間の物語で 時間の流れを歪曲する自然現象が語られたり 時間軸の異なる物語をオーバーラップさせる語り:時間と時間が一点でシンクロするトリックの構造になっていたり です。


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SFの総集編として編集された巨大な「ハイペリ・エンディミ」が シモンズ座標系で描かれた物語で
コジプロの入魂アート「デス・ストランディング」が 小島座標系で描かれた物語で
これらは 小説とゲーム:異なる直交関数系で 描くべき”同じ何か・デカい何か”を捉えたもの:鏡のこちらと向こうのカイラルなのかもしれない。
そして大きな物事の語りへの解決法として多くの点で同じ解を導いた という事かもしれない。

というのが 今回のまとめとなります はい。





2023.09.12


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