真夏に到来する盆と正月!!
ホドロフスキー、ゴジラ、そして宇宙博。
多分こんなことは人生二度とない?であろう自分得な夏である。
先月見た「ホドロフスキーのDUNE」に続き「リアリティーのダンス」。
こんな祭りは然う然う無いので、私も積極的に乗って行くという。
エルトポもホーリーマウンテンもそうだったが、ホドロフスキーを見ていると、
もう映画はこれだけ見てればいいんじゃないのか、他はいらないんじゃないか、という感覚に支配されてしまう。
正義だの悪だの 愛だの恋だの 社会問題だの国際問題だの ヒーローだのメカだの そんなのはもうどうでもいいかなと。
ホドロフスキーのこの混沌、すなわち人間の現実にくらべれば、彼以外の映画達の紋切り型臭やテーマだのストーリ性だののもろもろが、安っぽい子供っぽい三文ドラマ、浅い判断力や痛い価値観の産物にしか見えなくなってきて、もうどうでも良くなってくるのだ。
で、まあ、しばらくすると熱気が徐々に冷めてきて、だんだんと正気に戻り、飛んでいた意識も無事地上へ帰還し、日常へと戻ってゆくわけなんだけども・・・
強権的な父に育てられた少年の苦難の物語、からの、ロシヤ系ユダヤ人ゆえに無理してマッチョに独裁的に振る舞い自己を取り繕ってきた男が、通過儀礼的なむちゃくちゃな旅の果てに、ついにスターリン+イバニェス+自分自身という三位一体を自らふっ飛ばし自己を取り戻す物語。
今回の映画もホドロフスキーでしかなく、しかも、
ちょっと連想してしまったのは、今回はフォルカー・シュレンドルフ的な風格さえ備わってるかのような立派な映画"風"になってるなあと。
いろいろと精神をぐわんぐわん振り回される映画であるのは過去作同様。
前半が父と子の話だったのが、ペストのくだり以降はひたすらお父さんの苦行の話になっていく構成が、にしても不可解な感じで頭の整理がつかなかったりもするのですが。
どうせまた、何度も繰り返し見返すことになるに決まっており、その都度あれこれ考え悩み楽しんでいくことになるんでしょー。
うちにいるひとたち。重い。アメリカの学校の教科書のようだ。もうちょっと軽い造りでお願いしたい・・
からの「ゴジラ」
ゴジラ先生のあつかいが軽々しくなくてよかったなぁ。
ビップ待遇的な、超大物スター待遇みたいな感じで、銀幕を完全に支配してました。
からの「宇宙博」。楽しかったぜ。
実物大マーキュリー、ジェミニが隣り合っていた展示室が個人的には最高でした。
もちろんレプリカだけど、コクピット内など精巧で、ずっと見ていたかった。
おらもマーキュリー着てみたい!
下は、博覧会ではなく、うちにいるひとたちです
(キュリオシティーは今回の前売りのおまけでもろたもの)展示ではこれらの実物大の物が大迫力でみられまっせ!
2014.07.31記