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ホモ・ディメンスについて調べてみた(DEATH STRANDING)

小島秀夫監督の DEATH STRANDING デスストランディング では
様々な素敵用語が飛び交っておりまして ニコニコしっぱなしなのですが
(こちらも合わせてどうぞ・・「カイラルって何 ヒッグスって何」
私の馴染みのなかった単語が一つありまして それが
ホモ・ディメンス です。
分離破壊主義者:ディメンス というのが敵方として出てきますが それと関連して ホモ・ディメンス というキーワードが語られる。
ホモ・ルーデンス も出てきますが こちらは結構よく聞く名詞で 確かパチンコのコマーシャルにも使われてたし。
しかし ホモ・ディメンス は聞いたことないかも。
ということで・・・

ホモ・ディメンスについて調べてみた の巻。

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エドガール・モラン
失われた範列 人間の自然性
1973年

amazonマーケットプレイスからお取り寄せ。
ほら もう表紙からして きたーっ て感じです!

”範列” ってなんだろう? とまず思うわけですが ふりがなが ”パラディグマ” となっていて 要するに ”パラダイム” の事でした!
範列とは何か という訳者の解説が巻末にありますが 今やパラダイムと言えば通じる時代でしょう。
出版社も 今だったらタイトルは間違いなく 「失われたパラダイム」 にするでしょう。
ちなみに 人類の数30億という記述があり そこからもしみじみと時代を感じます。

著者の主張は 超乱暴に要約すれば
 自然と人間は対立したものだ という古いパラダイムに基づく人類学・科学を卒業し
 人間は自然の一形態だ という新しいパラダイムに基づく人類学・科学を築くべきだ!
です。

さて肝心の ホモ・ディメンスとは何か? かいつまんで言うとこういうことみたいです。

ホモ・サピエンスの脳は 多中心的な 超複雑化システムであり 変化への柔軟な適応能力を持つとともに その複雑さ故 ノイズや錯誤の影響を受けやすい。
これがヒトを 理性的(サピエンス)であり かつ 錯乱的(ディメンス)でもある者たらしめている。
この 理性と錯乱の両立・矛盾と これを解決しようともがく動作が 破壊をもたらすとともに 混乱の中から新しい秩序の生成・受け継ぎも生まれてくる。

まさに デスストのテーマと直に結びついたイメージではないでしょうか!!

本書は 内容は一見むずそうですが 訳文がチョーすばらしいので読みやすいです。
昔の翻訳本は本当にすばらしいなあ。
変な翻訳文体めいたところが全くない 自然な日本語です。
そして何より モランさんの熱量のある文章が熱い。
信念や決意が伝わってきて 引き込まれる。
こんな現状じゃダメだ 新しい学問を作るんじゃー という熱血が伝わって来ます。
1973年の出版ですが 情報理論・サイバネティックス・モノー・自己組織化論・複雑系 など当時盛り上がってきた分野の内容を横断し 社会人類学を 旧来の形から 自然科学としての新しい人類学に刷新しなければならない という熱い想いから書かれた本と読みました。
それどころか 新しい科学の概念・体系そのものが求められている 科学はやり直しを必要とする羽目に至っている とまで言います。
この宣言は 今日に通じるところがあると思っております。
21世紀現在 脳・意識の問題の解明が期待出来る新しい科学の登場は 毛ほどの予兆すら見せておりません(反論は許す)。

さて 本書の 特にホモ・ディメンスに関する部分について 以下にもうちょい詳しく書きとめておきますが めんどくさいと思う人は飛ばしてOK。

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自己意識の起源は 死を意識し始めた事と深く関係がありそうだ。
死を意識することで 主観つまり想像の力:神話、宗教、墓、壁画アートなど が強まった。
想像の力は どんどん発達していく脳に対して 遺伝命令の力が後退していった結果生じたものだ。
が、それは 死に対する客観(現実にある死) との折り合いの必要・堂々巡りを引き起こす。
死に対する想像の世界を創造する 一方で現実の死が観察される どっちつかずの混乱混同の発生。
この状況はすなわち 環境/精神 主体/客体 現実/想像 真理/誤謬 の対立と混乱であり これらが ヒトに錯誤を引き起こしていく。
これが ヒトを ホモ・サピエンス:知恵のヒト でありながら ホモ・ディメンス:錯乱のヒト でもある存在にする。
この脳の動作は 自己意識という震央の源でもある。
主体/客体 現実/想像 真理/誤謬 の弁証法から 意識が生じる。
認識が自己を認識しようと試みる現象 主体が自己を主体と知り感じながら同時に自己を客体として見做す現象 である。
(自己参照の無限ループ 再帰的ループの無限の連続が 意識である というイメージ。
この 図と地のぐるぐる:n次に向かう運動から意識が生じる というイメージはまさに 大好きなダグラス・ホフスタッター流で 非常にびっくりした。)

脳は 解剖学的には 以下を区別する能力を持っていないように見える・・
外部的刺激/内部的刺激 幻覚/知覚 想像/現実 主観/客観。
(SF的に言えば 夢・幻覚/現実の問題 マトリックス/トータルリコール問題 脳はVRと現実をどう区別できるのかできないのか問題。
脳は どこをどう切っても同じ灰色の脳細胞の連なりしか見当たらす 信号が内部起源なのか外部起源なのか その信号を解釈する部位自身には両者を区別する機能が有るようには見えない 特別な器官がどこにも見当たらない ということです。)

脳と現実世界の間に横たわる曖昧地帯のことを 本書では ”割れ目” と呼んでいる。
そこには 信仰・精霊・神話・呪術・合理化的理論・イデオロギー がうごめいている。
脳が力を増し 遺伝的プログラムからの制約を振り払い始めると 超複雑性を獲得し 遺伝的先天的な能力だけでなく 感性的体験(環境と文化)も得て 権能:発見能力・戦略能力・創案能力 を発達させた。
脳は ”割れ目” にうごめくものたちを疑う能力を持った。
これは 不解決性・矛盾・混乱を生む。
脳が超複雑化し 遺伝命令が後退するとともに 割れ目は広がり 錯乱が大きくなるのである。
意識は 割れ目の矛盾を解消しようとするために 神話と真理の両方を求めるようになり 想像と現実の混同を管理する必要性にますます必死になってしまう。
管理をし損なうと 論理の過剰と情緒性の過剰が結合して 人を妄想的狂気に導びいてしまう。
ホモ・サピエンスの行動の狂気の源がここにある。
生まれながらにヒトが抱えている無秩序。 それはやがて歴史時代の無秩序を招く。
”正義を行う” という観念のもとの 戦争/拷問とか、~主義とか、~教とか・・・
ホモ・サピエンスの真髄は この混乱・錯乱/深い認識能力(直感と論理の結び=”理解”) の共存なのだ。
錯乱:ディメンスは 叡智:サピエンスの代価 なのである。

しかし 危機的動物 神経症的超複雑性機械たる ホモ・サピエンスの存在は たかだかここ最近 5~10万年ほどの現象であり この不具合は 現状致し方ない状況だと言えなくもない。
人間の不安定性は 歴史社会・文化の不安定性、破壊を生んできたが それは新たな創造でもあった。
ここで本書は 遺伝暗号(遺伝コード)に対するものとして 文化暗号(文化コード)というものを持ち出す。
(この<文化コード>というのは まさに ”ミーム” のイメージの先駆けのように感じました・・)
無秩序から複雑性が生まれ 混乱から破壊が生じる中で 新しい文化・文明が生まれ <文化コード>が受け継がれていく。
この流れが ホモ・サピエンスといういかにもポンコツシステムが なぜとっとと淘汰されずに今まで力強く生き残ってこられたのか の原動力であろう。
本書では 生命のネガエントロピー/ネガエントロピー学 という独特の用語が何度も登場する。
(自己組織化される複雑系の事で 要するに生命や脳の事ですが シュレディンガーの「生命とは何か」(エントロピーは増大するが 生命現象はそれに逆らっているように見える)を連想すれば 直感的にイメージできるってもんです。)
錯誤・雑音・偶然・無秩序 これらはハンディのように見えて 豊かな複雑性の源でもあり それによって引き起こされる変異は 情報を豊穣にする力があり 再組織化/新しい秩序を作る原動力でもある。
これが ホモ・サピエンスの 危うさだけではない強さを生むのである っと。

・・・ 以上が 本書における ホモ・ディメンス というアイディアに関する部分に対して 不肖、私ごときが理解した気になっている内容のノートとなります。
本書を隅から隅までくまなく読んだ という感じもなく 内容が古そうな部分や興味のない部分はすっ飛ばしておりますので 手落ち部分や誤解なども多々あろうかと思いますが 何かしらのご参考になれれば幸いです。

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雑談的感想になります・・・
結局なんか 全体的に 厨二っぽくなるよねー こーゆーのは。
そうなんですよ こういう小難しい本とかも 厨二心で楽しく読む 最高のSFとして読む ってーのが 豊かな人生ってもんなんですよ ・・と私は思います。
最高の古典ハードSF またはステープルドンばりの幻想小説 として読んでみればいいじゃない。

・・と言ったそばからですが、
著者のエドガール・モラン氏は フランス思想界の人ですが 当時盛り上がっていたサイバネティクス研究やジャック・モノーらとのしっかりとした交流があり えーっと、科学的にとても不真面目な人たち、いますよねえ、 あの人たちとは一線を画す感じです。 とても素晴らしい読書でした。
要は ポモってもスピってもいないのでご安心あれ つーことです。hahaha。

DEATH STRANDING  に関しては もう少しあって
ヒッグス/カイラリティー というキーワードが飛びかいますので 簡単な読書案内程度のことを書きたいなあと思っちゃっております。
(追・・書きました こちら「カイラルって何 ヒッグスって何」
ホモ・ルーデンス もキーワードですが こちらは有名すぎるかもしれないので 私ごときがなんか書く意味はないでせう。

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最後に。 どうしても言いたいこと。
わたくしにはわたくしなりの 行動指針、価値基準 みたいなものがありまして・・

新天地へと道を切り開き 我々を先へと連れて行こうとする人
停滞する現状を再構築しようとする人
そのために危険を冒す人
そういった 開拓者、冒険者 に対しては
無条件に 賞賛を送らなければいけない 応援しなければいけない
結果が成功であっても失敗であっても だ!
成功者は持ち上げ 失敗者は蔑み足を引っ張る という脊髄反射的動作は
未来構築への意志の欠如 を露呈するだけの 怠慢的所業である。
新しい景色を見せてくれる人 希望をくれる人 明日へのヒントをくれる人
みんなにとって その存在は 何者にも代えがたいはずだ
DEATH STRANDING  そして 小島秀夫監督は
賭けに勝利した。
間違いなく
世界を昨日より面白くしてくれました。

2019.11.24

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